会社を去る=人間の自然  2001.1.21 記

2000年が終わった。 それと同時に自分の20年が続くことなく終わった・・・・。
今、新たな自分の人生において最大のスタートを切らざるを得ないという気持ちで一杯である。

これまでは親父を守る為にも必死に耐えて来たが、それも、もう限界だ。
「親父が立ち上げた会社を去る決意。」
「物心がついた・・・幼稚園の寄せ書きに“しゃかんになりたい”と平仮名で書いた頃から言えば、実に30年の思いにピリオドを打つ。」

しかし、それは希望的な物ではなく、むしろ悲壮的と言った方が適切で、果たしてこれからの自分が、
何処まで耐え忍んで活路を見出せるか? 先行きは全く分からないが、
とにかく新しく生まれ変わりたい。・・・・・そんな心境である。


ゼロからの出発は、一職人として始める他には手立てがない・・・・。 

これまでの自分は、跡取りとしての宿命から
何の疑いもなく大野丁場(ビル建設)で、まるで機械のような人間として働き扱われてきた。

言い替えると勝手な会社組織の勝手都合な上司にただ翻弄され、
          取り繕う側に振り回されてきたように思える。

そしてそれに伴う人間関係の中で、自分に蓄積されてきた物は・・・・・・・・・
と振り返ると

名誉や地位や、立場や金といった私欲というか、思惑であり、優劣であり・・・・・そこに巻き起こる強制。
駆け引きの醜さが身近の中で余りにも多すぎた末に、
もう、ほとほと疲れ果ててしまった。

認め合ったり、分かち合ったりする、血の通うような物とは、
到底かけ離れていた分、なんというか、積み重なって消えないものとして、ただ情けなさや悲しさ、寂しさのみが残った様な感じだ。

小林氏の言う、《ゲニウス・ロキ》人間の自然などかけらも感じ取れない、
この社内の環境に、あえて争いを避け、自ら去る決意である。
もう他の選択肢はない。

その結果、今、自分には何の保障も道筋もない・・・・・・

それでも短い期間ではあったが、土に接してきてから・・・・
様々な人達に出会い刺激されながら、その時々の仕事を通じ自分を考え、
郷土を知り、歴史を思うようになれたと思っている。

自分の仕事(生業)が、土地柄や歴史といかに繋がりがあるかと言う事。
これまでの自分とはまるで関係のなかった言葉・・・・・・文化。
郷土の建築も塗り壁も、様式も、そのあり様も素敵な物だと気づけた。

そんなことを体裁や形の上ではなく、少なからず感受しようとして、
自分が変わり始めている。

だから、もう懲り懲りである。このまま理解もされず意に反して、
この会社の中でこれ以上、強制的に縛られ、陰湿に叩かれ続け、
人を憎んでいたのでは、自分の中の《人間の自然》などあり得ない。

《人間の自然》=《すこやかで自由な心》
この言葉があまりにも切なく響いている今・・・・・

社内の現実離れした徹底的、杓子定規の中にあてはめられ跡取りだという言葉を引き合いに、些細な事にまで重箱の角を突つかれつづけ、
イライラを募らせ、逆立っていたのでは、人生を台無しにしてしまう結果に成りかねない。

自分自身が叉、人を憎んだり恨んだりしていたのでは、
完全に人間として失格しそうだ・・・・・。

人生を常に逆算して考える・・・・・。
あと何年、生きられるか・・・・・?あと何年夢中になって動く事が出来るか・・・・?重ねられるか。

純粋に情熱を注いだ末に失敗したり、
その結果、新たな物の見方や方向性が出て来たり、出会いがあったり、
自分が直感として想像するぼんやりとした目標に向かい、
ゆっくりでいいから、後戻りをすることなく進んで行ける人生を歩みたい。

納得できる確実な一歩を踏みしめたい。
不安が不安を呼び、眠れない夜に悩まされているが・・・・
もうこの会社にはいられない、去るしかない。

良い仲間を作り、一致結束することで、何とかなると信じ・・・
チャンスは少ないかも知れないが・・・

自分の思う生き方をしなければ、本当の自分などがわかるはずがない。

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