本来の自分・・・       1999.9.3 記

最近になって分かる事、自分の中にある、遠い昔からあるべくしてあった物。決まっていた物。自分自身だけにある本来、根本的にあったに違いない微妙な感覚、固有な物。

きっとそういった物が、誰にでもみんなにそれぞれ備わっている筈だと、思うんだけど、なかなか簡単には、それに気づく事が出来ない。言い表せない。気付けない。変えようのない物が絶対にある筈だ。・・・それにどうしたら近付けるのかが分からない。


知らぬ間に、こうあるべきなんだ、だとか、そうしなければならない、そんな『強制』というか『無理』を押しつけられている様な気がする。

それは否応なく学習させられてきた事。そうでなければならない・・・と考える間も感じる間もなく、凄く先行してきた形で教え込まれてきた事なんじゃないか?
・・・・・という様に思えてしまうのだ。

そういった全てが凄く巨大で頑丈な枠となり、もし、その頑丈な枠がなかったら、そのままの自分は見る事によって、触れる事によって、そして耳に伝わる音に対して、どんな反応を起こしてどんな事を感じるのだろうか、と考えてしまう。
もしかしたら今の自分は、本来の自分ではない偽物で、本当の自分。
その前の、それ以前の自然な自分を知り得る事も無いままに、
              今の自分が今までの様に生きて行くとしたら・・・・。

何か違う様な・・・そんな風ではなくて本来の自分を見つけ出さなければならない必要
・・・その必要を強く思う。もっと言えば『自分の必要』と言うより、
                  『一様な時代への苛立ち』なのかもしれない。

そうした意味から、今俺は必死にそれに対して、模索し苦しんでいる様に思える。
しかし苦しんで模索しているなんて、その時点で既におかしいというか、不自然だし納得がいかない。ただ何となく想像しているというか、おぼろげに自分の中にある本来の自分らしきものを推理し始めている。    ・・・・そして願っている。

本来の自分が願い目指す物は・・・、
洗練された繊細な物でもなく、緻密に計られた物でもなくて、何というか
自然の風景の中に溶ける様な建物(塗り壁)を・・・・
ひとつの生命として、人間という生き物が作った『巣』の様な行為としての塗り壁を生み出したい・・・・。 溶けるという事はどう言う事・・・?
ハッキリとした意識の中にあってもある瞬間にふっと消えてしまう気分が生まれるもの。
透明な景色に重なり見えなくなる物。
見落としてしまいそうな中に実は凄く存在感のある物。
そして、
ゆっくりとした長い時間が溶かしていって、いつしか消え去ってしまう強くはかない物。
こんな事が出来たら・・・これこそが今の自分が一番納得出来る様な・・・・・・

そんな部分が自分の中にあって欲しいと・・・・心から願う。

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