迫田、去年の12月の事だった・・・

去年の12月の事だった。岐阜に戻った迫田幸一の様子がおかしいという・・・。
そんな風の便りに長年に渡り付き合って来たからこそ解る 
奴の性格から、なにか胸騒ぎめいたものを感じ、岐阜に車を走らせた。

相変わらず、改めて迫田の貸住宅の前に立っていつも感じるのは “今時、こんなにもボロボロの長屋が存在しているのか?”とため息が出る様な有様である。
ともあれ、玄関のドアを叩き「俺だ!」と呼ぶが返事はなく鍵がかかっている・・・
留守なのか? と思いながらも一応、居間側に廻り、古びたサッシ戸を開けてみるといきなり迫田のベッドが目の前に現れ、眠っていた迫田が驚きながら上半身を起こして
「おぅ!どうした・・・」っと こっちを向いた。

その時の迫田の風貌たるや、あまりの惨たんたる状態をどう表現してよいやら・・・

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恩師 イスルギ常務   1999.9.13 記

9/7、あの、イスルギの常務〔石動治夫〕氏が、仕事中に金沢の本社で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。(享年62歳)余りにも惜しまれる業界の顔の死である。

話によると次回、カナダに於いて開かれる技能五輪国際大会の選手を養成する為、自らが数人の部下を従え、選手練習課題を制作している最中に、突然と音もなく倒れ・・・
・・・心臓の停止・・・。
あれほどの迫力、パワー、日本人離れした風格、そんな常務の突然の訃報に、ただただ呆然としてしまう以外にはない・・・とにかく何がどうなったのかと・・・想像の仕様もない・・・    そんなありさまだ。

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恩師 上内 丈光     1999.9.10 記

今こうして、自分が左官職として沢山の人と出会い、夢中になれる物があること。
そして、仕事面に於いて運良く勉強できるチャンスにも、恵まれ始めて来ていること。

 熊本は上内工業?  社長〔上内 卓〕 そして専務〔上内 丈光〕の両氏の下、自分が入社したのは昭和56年の春。当時は従業員140?50位、いただろうか?
この頃、まだ建設現場は左官工事が主流を占めていた、全盛期だったように思う。両氏は、我が社は技能の『上内』だと胸を張り、技能者の育成の為に、事業所内に単独の訓練校を持ち、実際、昭和44?60年頃までに、技能五輪全国大会でおよそ20人の入賞者を独自で育て、内、優勝者を7名出しているという、業界では、
九州王国とまで言わせた時代を築いたと言って間違いない。

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心の渦    1999.1.11 記

いつも・・・・・・いつもの事である。

たった一人で、
誰もいない静かな所にいると聞こえて来る。

このままで良いのだろうか・・・・・・
          こんな事で満足なのか・・・・・。

もしかしたら、
もう取り戻す事の出来ないような、

貴重な事や、
ひとつのきっかけになる事を
          見逃してはいないだろうか?

震える身体に手をあてて

聞かない様に・・・・
   聞こえない様に・・・・
       ・・・・・目を閉じ耳をふさいでいるのだが、

・・・・・・内の底から沸いてくる・・・・・・・・・。

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