アリゾナの地で生まれた左官     2009.06.15記

写真提供:小松義夫氏

時折・・・・・プロフィールを送って下さいと、言われることがある。
自分として、かたくなに職人的なこだわりがある訳ではなし、といって中途半端にアーティスト的な意識が強いわけでもない・・・・

『プロフィールを』と、言われると(そんなこと、どうでもいいよ。)
という怒りににた電流が一瞬、体に走って・・・・

しばらくこらえて沈黙。
それから、やっぱりやめだ!と、投げやりな気持ちにさいなまれる。


もちろん、相手側は好意をもって言ってくれるのだから、
普通ならそんなにイライラしなくてもよさそうなものだが・・・・・。

しかし過去の仕事を並べることで、この人物はこういう人間だ、と、
何か決まった場所に押し込められてしまうような気持ちが働いて、

(型にはめないでくれ!)と、
    拒否反応が起きているように思える。

厳しい時代。
思うようにいかない現実の中で、
のたうちながらも最低限度、自由でありたい、自在でありたい
     という願いからくる条件反射の反動、反発が起こる。

それで結局は御自由に書いてくださいと、
    他人任せにしていて、そのくせ何か違うと思っている。

プロフィールには、
アースメイクを手がけるとか、世界にまで活躍の場を広げている、
とよく載せられてあるが・・・・ 
実際には、メイクなんてほとんど一発勝負で2回やっただけだし、
本当はもっとやりたいけれど、
チャンスがなくて残念な気持ちでいる。

『世界』?というのは、
全く家も見当たらない地で、360度地平線が見えるサバンナの
アリゾナへ2回行き、
塗り壁のパフォーマンスを2?30人の前で行うという、
小さな講習会という形のもので、
特に大きな仕事をしたわけではないから

“活躍”とはちょっと大げさに思える。

しかし約2週間の、アリゾナでの滞在の経験は、
         自分にとっては冒険そのもの・・・・。

視界が山々で寸断される盆地に育ち、
 修行はコンクリートの箱の中で働きつづけ、
  東京に出た時は『どうやって来ましたか?』と聞かれると

『“汽車”に乗って・・』・・・・と

答えていたくらいだったから、
アリゾナで受けた刺激は、衝撃的で
生涯忘れられない、絶対の風景が頭の中に焼きついた。

これが地球の裂け目、【キャニオン・デ・セイ】

・・・・・遥かな地平線という言葉を・・・・・
今、目の前にして、ここに立っている自分。

マニュアル的な、
かいつまんだ観光とは別な、
通り過ぎるものではない『生の世界』に、
心と身体の震えが止まらなかった

そんなアリゾナの風景は、
どこからどこまで・・・という区切りの付けようはなく、

個々勝手に人間が引いた境界があるにしても・・・・
またその境界線を探すにしても・・・・
その位置が例えば
100メートル200メートル違っても、
          大した問題ではないように思え、

100メートル?200メートルの、
共有の誤差が存在してるだろうことが予測できる。
見渡す限りの広大な大地には、
まるで人影のように見えるサボテンと、
 単独異様に伸びたリュウゼツラン(テキーラ)の鈴なりの花・・・・

少しの間、目を閉じて、
自分に暗示をかけて見方を変えると、
ここはどこの惑星だろう・・・・?
             と、自由に錯覚ができた。

詳しく言うと、
アリゾナ州はメキシコとの国境に近いカネロという高地で、
標高1500m、日中は40度を越え、湿度8%の乾いた地で、
   一日100回以上 SYUHEI と呼ばれ大切にされていた。

2週間の滞在は、
そこに住む、メキシコ系アメリカ人の“ビル”と、
ネイテイブアメリカンの血を引く“アセーナ”と、
学校に通わず独自の学習をしている
       “子供達”の家にステイしたのである。

標高1500mの高地は、
日が沈むと、とたんに外気が冷えて肌寒くなり、
深夜になると、
いつも決まってトイレに目覚めていたことを思い出す。

自分は
 小さな離れの部屋のベッドで眠っていたから、
いつでも気軽に外へ出て、
       広大な大地を遠く進んでいく・・・・・・

すると、必ずこの家の首輪のない自由な犬が一匹、
自分の周りを、いつもぐるぐると廻りながらついてきて…
            ・・・犬と2人、大地をすすむ。

そうして
心細さが限界に達すると、
    そこで空を見上げて、爽やかに用を足していた。 

・・・そのまま・・・

乾いた大地、雲ひとつない空に、唯一浮かんだ月を見ていると、
ほぼ満月の月の白さは、
夜空の向こうの世界への入り口のように感じられ・・・・

≪宇宙の外は白銀なんだ?≫

静かに光る月夜の空が、深まるほどに・・・・・
大気も大地も、冷えて渡ると、風の音の・・・流れもない・・・

自分の体温が奪われたぶんだけ、
野性の眼、視界が広がって見透かせた・・・・。

普段、身の回りにあふれている一定の雑音の中で、
自分達は無意識にかまえ、自分達の常識の中に生きている。

しかし

止まったかのような静けさの、月の下では無防備になり、
  肘や膝の感覚を失い、ポカン!?と、空に口を開けて、
               たたずんでいたに違いない。

砂と草の地表には、
真黒(マクロ)の影も乾ききって、縁取りが色濃くするどい。

この絶対の開放の中では、 
 自分の存在なんて、なんと無意味なんだろうと、
  突きつけられて浮き上がると、若干景色がにじんで見えた。

ひとつの転がっている「石ころ」と自分は、
限りなく同等で、その石はそのまま自分であること、

石は時に砕け、
自分がいつ消えてしまったとしても、
        この絶対は何もかわらないこと、

自然の流れは、
  自然のままに止まらず、
     たえず流れつづけていること・・・・・。
           ≪当たり前であまりに儚い≫

それにしても、なんと真黒で鮮明な影。

月と地表のあいだで、
映った自分の影に、
    初めて生きている自分の命の形を見たような・・・・・

今、背中に、胸に、受けている月の光が、
この身体を突き抜けて、
    突き刺さったかのように見えてしまう真黒な影。

・・・・・・・あれから2年・・・・・・

ステイしていた家族のリビングに流れていた
“eva cassidy ”の澄んだ歌声を聴くと、
自分の中にあの絶対の風景と、
       あの自由な家族の空気がよみがえってくる。

以来、ゆっくりと自分のアリゾナは発酵し、
      アレンジされてふくらみつづけている・・・・。

俺は左官。・・・・『水』 『土』 『光』 の中で生きる左官。

≪そう考えてきた。≫

しかし、小林編集長は言う!

『 シュウヘイ、お前は別に左官じゃなくてもいい!
     ひとつの型や考えに納まらなくていいんだ。』

『 なぜなら、お前は様々なチャレンジに、
左官の考え方を持ってこれまでを生きてきた・・・・。
   だからこのまま、行き行きて、行き行きけばそれでいい。』

『 海を渡る帆船 』
『 航海のように星をよみ方向を決め、風をうけて影響され、
        ジグザグと、さ迷いながら進めばいい・・・・』と。

そんな言葉を受けて。

時代は厳しくせつなくとも、最低限度自由自在・・・・。  
                  嫉妬はゴメンだ。

あなたにとって左官とは何ですか?・・・・この質問が一番嫌い!

そんな事、考えたところで意味はなく、
ただ、
左官と、自分が混ざり合った出来る範囲に対してチャレンジし、
ひとつの考えを、
どこまで自在に膨らませる事ができるかを
         求めているだけなのだから。

今、自分は、
職人社秀平組に集った若い衆に対して、
           こう問いかけている・・・・

俺達の左官は、水・土・光の計りきれない移ろいに、
時に翻弄されて、時に偶然の感動を得て、
            そして全てが完璧ではない。

完全な事は出来ないのだから、
もっともっと広大で不完全な幅をもとうじゃないか!

そう考えると、
水・土・光が生み出している、ひとつの【樹】も左官。

それなら、樹は伸びる土。だったら石は硬い土。   
・・・そう考えると幅が広がって、夢が出来る。

稲作をしている農業も、
微細な発酵や塩加減をあやつる料理人も、
俺達も皆、同じ際限のない悩みを持った仲間であること。

一枚の壁を仕上ることだけでなく、
  4面の壁を塗ることで、空間となり、
    天井と土間を塗り込めれば建築ともいえる。

外観を塗ることは風景を作っていることにつながり、
          風景とは自然や環境、そして人。

…多種多様な植物と直接かかわりあっていることになる。
            なんと不安で豊かなことだろう・・。

そして小林氏はこう書いている、
【左官礼讃?】、飛騨の(歓待の庭)より抜粋。

『飛騨の土と水が、
このように多種多様な植物を生み育てるように、
左官も土と水をもってささやかで、それでいて、
多様な風景を、生み出さなければならないと、
            友は言う。その言や、よし。』

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