「 あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる
浮き世の月に かかる雲なし 」
これは、あの赤穂浪士の大石内蔵助が 詠んだ辞世の句なのだが・・・・
この誰もが知っている 歴史上有名な事件のはじまりは、
元禄14年3月14日( 1702年 )。
江戸城、松の廊下で赤穂藩主、
浅野内匠頭が刃傷に及び、
大名としては、異例の即日切腹となった。
挾土秀平のブログ
「 あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる
浮き世の月に かかる雲なし 」
これは、あの赤穂浪士の大石内蔵助が 詠んだ辞世の句なのだが・・・・
この誰もが知っている 歴史上有名な事件のはじまりは、
元禄14年3月14日( 1702年 )。
江戸城、松の廊下で赤穂藩主、
浅野内匠頭が刃傷に及び、
大名としては、異例の即日切腹となった。
東急文化村で開いた個展の設営をしたのは6月2日。
設営は10人がかりで、職人社秀平組総出といった、
大掛かりなものであった。
準備が整ってすぐ、
自分には、次のとても大きな課題が課せられていた。
職人衆を集めて打ち合わせを行い、
じゃあ、この文化村ギャラリーから、細かな指示連絡をするから、
くれぐれも頼む!!といって飛騨へ帰る皆を見送っていた。
6月19日夕刻から20日朝にかけて、
銀座四丁目WAKOのウィンドディスプレイの制作と設置という、
人生でも、そうそうにはない大きなチャレンジが、
すぐ先に待ち構えていたのである。