師からの手紙 2

前略

ブログ拝受。

東京は雪
喫茶店の窓の外で雪が舞っている。

一つ一つの雪片は、一つ一つであるけれども、
              その一つ一つの軌跡は、

別な雪片の軌跡とたえず差を生み出しながら
     其々の距離をちぢめたり遠ざかったり、
         とどまったり浮き上がったりしながら

             アスファルトの湿った舗道に消えていく。


私は、一つの雪片をみているのではない。
        そこでは、一つの雪片をみること

一つの雪片の軌跡は、隣のその隣の隣の・・・

無量の雪片の位置と、その軌跡によって見えて来るからだ。

私達は、このあいだに舞う雪片の一つにすぎない

私などないのだ。

私があるとすれば、

一切れの雪片と同じように、
  一緒に舞い落ちていく無数の雪片や雪が、
       舞い落ちて来る灰色の雲のゆく束の間あらわれて、

           地べたの雪泥に飲みこまれてしまうだけなのだ。

一切れの雪片ではなく、
     次々と降り来るものが恐ろしいのだ。

私を表現するのではない
私の軌跡などないのだから

私の軌跡は、私のまわりに存在するものの
             軌跡によって描かれるのだから。

12月29日のブログ、[ 背景となること ]
             を読んでそんなことを思った

1月6日のブログ、[ 復興 ]はそのとおりだと私も思う

秀平の飛騨的感性は正しいと、まだまだ秀平の感覚は狂っていない。

ところで、
最後のブログの化石的、六さんの話

一編の詩を、味わっているようだった
           六と小六の七夕的男のつきあいは・・・。

また、いま上野の東京国立博物館で、
     北京故宮博物院展をやっていて、
        中国の宋の時代の黄庭堅という詩人の書が展示されている。

この狂草の書を秀平に是非みてもらいたい
2月19日までやっている
お逢いしてまた・・・。

                 草々

こうして、
小林氏から定期的に送られてくる手紙。

自分はこれまで、小林氏の、

雲のような、
  根のような、
     無限に漂う波のような、

      大きくて深い言葉によって育てられてきたように思う。

小林氏は、
言葉を意味としてとらえるのではなく、
          音として聞くことが大切だと言う。

やがて自分は、音を色のように感じ、
          色は模様や姿形となり、

その形が、やがて風景に溶けてゆくことで、言葉が生まれている・・・・。

そうして自分も文を綴るようになった。

小林氏はいつも、

自分が取り留めもなく、
   形も整えないままに書きつけた文に対しても、
                 いつも決まってこう言う。

                        いい詩だね・・・・。

物語三部作。

≪ 青と琥珀 ≫・≪ 歓待の西洋室物語 ≫・≪ 光のむこう ≫

                 2月23日、本を出版することになった。

≪ Amazon ≫

青と琥珀 歓待の西洋室物語 光のむこう

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