師からの手紙 3

久しぶりに、小林さんから手紙がきた・・・以下。

前略、
 
シシャモ、ミカン有難う。
      冬ごもりの身に助かっている。


去年の暮れから
  「むらぎも」という言葉についてあれこれ考えている。

群胆、村胆・・・

「むらぎも」とは万葉集にある心の枕言葉。

歌の中で、心という言葉を云うとき、
   その頭に「むらぎも」という言葉で
              修飾する飾りの言葉

心といいだすために
  手押しポンプのさそい水のように
          いいだしてみるということか。

万葉人にとっては、

心は頭の中にあるのではなく、
      その人の胆の中に、内臓の中にあった

内臓は

心臓とか、肝臓とか、
  スイ臓とか、ジン臓とか、
      ヒ臓とかむらがってあって、

              そのひとつひとつが心であった。

              それが「むらぎも」の心という。

万葉人は頭で感じるのではなく、内臓感覚で感じていたのだ。

ワタシはどうしても頭で詩を書いてしまうが、
           秀平の詩は内臓感覚で書かれている

秀平がはじめて東京へ来た時に書いた詩を覚えているが、
            あれはまさに内臓感覚の詩だった。

今年の6月、
  「さとうきび」の雑誌の2号を出す予定。

また、秀平の詩を載せたいので、
     なにかいい詩があったら送って下さい。

いまのところ
  なんにもすることがないので、
    「さとうきび」の雑誌を形のあるものにしたいと思っている。

ここしばらくお逢いしていないが

秀平のむらぎもの心が
     むらむらとしているのではないかと思う。

                          草々

小林氏の言う詩とはこのブログのこと
【 2009年4月7日 ブログ 東京 】

師からの手紙に書かれていた詩とは、
 たぶん【 東京・・・ 】というブログだと思い、読み直してみた。

このブログを書いて5年が過ぎて、
東京がまたくもりがちに見え始めている自分。

それは、東京というより、

もしかすると、自分が日本という枠をくもりに広げたのか?
もしかすると、この国全体が曇っているのか?
自分がマンネリ化し、惰性になってしまっているのか?

                      わからない。

ニュースを聞くたび、目利き不在を痛感し
            むらぎもから離れる一方の職人世界

もっと強く、
もっと慎重に、今しか出来ない時間を流してしまわぬよう・・・・。

          あらためて考えさせられる、師からの手紙であった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です