全国どこへでもゆく覚悟


【 記事全文 】

山里のにおい変われど

飛騨高山の古い町並み(岐阜県高山市)

町のにおいが変わった。

飛騨高山の古い町並みを散策しながら、
店の外まで漂う飛騨牛の串焼きのにおいが気になって仕方なかった。

朝市を訪ね、知り合いのおばさんに話したら、
「五平餅やみたらし団子の店が商売替えしたんやさ」と教えてくれた。

脂っこいにおいが隠したのは、
しょうゆを塗った団子が焼ける香ばしいにおいだった。

ちょうど50年前、飛騨高山は「暮らしの手帖」で

「とっくに忘れていたものが、そっくり生きていた町」

      「ひとに媚びない気がまえ」につつまれた町と紹介された。

その後、国鉄の
   「ディスカバー・ジャパン」や
            「アン・ノン族」の旅でブームに火が付いた。

今はミシュランの三つ星観光地にも認定されている。

30年ほど前、

飛騨人気質について書いたことがある。

      「よう来てくれんしゃった」
           「また来てくれんさい」

                という看板が目立ったころだ。

客あしらいは概してへた。

うまくても、京風の「いけず」な面が見え、そこに共感した。

                   変わらない飛騨を見つけたい。

観光客が宿にこもった後、
     夜の繁華街、朝日町で一杯。

            昼間は潜伏していた飛騨人がわき出してくる。

酒蔵が並ぶ町だけある

       飛騨の人情、しらふではなかなかみえてこない。

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独立してから12年。

そしてこの10年、我々を訪ねて
       雑誌テレビなどの取材依頼が多く
                 県外から様々な人たちが、

         職人社秀平組の本拠地、【 飛騨高山 】にやってくる。

訪ねてくる人たちは皆、
       影響力のある、コアな人物ばかりだ

           ・・・飛騨は、東京から4時間30分と遠い。

日帰りするにはあまりにきつく、
  といって、1泊2日となると、

        多忙な人に2日は、とても大きな時間をさくこととなる。

まずは秀平組事務所にある、
          様々な土壁の話から始まって

その話から、

考え方やデザインの事や、
    飛騨の風土について、
      これからの未来についてと話は展開する

飛騨、土、水、木、職能、自然観、和、ふるさと、
                 というキーワードから

         必ず 未来は、日本らしさは、という方向性の話になる。

そのあと、飛騨高山の街並みや、おすすめのスポット、

秀平組の飛騨における
     仕事を見せてほしい、となり、
             案内することになるのだが・・・・。

その場所は・・・・

県指定文化財荏野文庫土蔵    ( 1997年 )
遊朴館             ( 1998年 ) 施主 岡田賛三
久々野の野の土蔵        ( 1998年 ) 施主 久々野町
テディ―ベアエコビレッジの内外壁( 1999年 ) 施主 岡田賛三
花筏( 和菓子屋 )      ( 2006年 ) 施主 岡田賛三
棚田の茶室           ( 2011年 ) 施主 中屋栄一郎

秀平組の独立は2001年だが
我々の仕事として、高山市内で見せられるのは、
             ざっとこんな程度。

               
                    近年、ほとんどないのである。

このあと重要文化財、吉島家、日下部家を廻る。

20代や30代前半ならともかく
     眼の利く人物となれば、

      あまりに観光地化が進んだ名所や、古い町並みを、
                 案内する気には、とてもなれない。

相手の美意識が高かったり、知的であればあるほど
          世界標準の見識があるほどに・・・・

         案内する場所の視点で、逆に
             自分を思いもよらぬ形で
                  見透かされてしまう可能性がある。

コアな人は必ずこう言う

もっと一般的な旧家など、本質的な施工物件を見たい、
            土地に根ざした素朴な佇まいが見たい

             何気ない習慣に触れたい、地の人に会いたい。

と毎回要望されるが、
   遠出になってしまうのでと説明すると、

               限りある時間を優先し断念となる。

現状の飛騨で12年。

我々は土地の素材を使った旧家の壁や、
      これが地元土壁を使った、入母屋和風建築です

       と案内できる我々らしい受注を、ほぼしていないのだ。

       仕事を請ける、請けない以前に、無いに等しいのである。

飛騨らしい地元の大工は次々と廃業し、
        この5?6年を振り返っても、
            
            本格和風の建築は数えるほどしか記憶にない。

そうした外観であったとしても、

壁面は工業パネルにメーカーの吹付け、
  または樹脂系薄塗りで仕上げられているのが
                  
          95%だといっていい。・・・いやもっとか?

たとえ土壁といえども、
ほとんどが全国に流通する既調合建材なのである。

上文記事に、ちょうど50年前・・・とあるが、

文化風土が、《そのまま生きていた、媚びない町》が
   
50年を2世代?3世代と経るうちに
     ただ観光客が来ればいいとの意識が
                ゆっくり地域の感覚をかえて、

     飛騨は、そっくり別の飛騨に変わってしまった。

             日本で最先端の観光の都市になった・・・・。

経済性、スピード、表面的な雰囲気が優先され、
           最低限度ゆずれない一線があるような
                     ぼやけて消えたような

町を案内していると

あちらこちらに点在する、【 匠 】という文字が
           目に入るたび、黙って息をのみこんだり
                        溜息を吐いたり

古色(こげ茶系の色合い)に調整された、
ファミリーマートや、古色アルミ製の公衆電話BOXに
景観を考えてのことですね、と、つぶやかれると

あ・・・はい。 ・・・・・・と、苦笑いになる。

       

それが現実、このような記事として現れているのである

    誇りと意地があれば
         このような記事には・・・怒り、震えるはずだ。

結果・・・・・

地方の最先端を歩んできた飛騨は、

職人が気質を持って
      生きられる町ではなくなってしまった。

つい最近、名古屋から京都までの新幹線に乗っていると

・・・思わずここはどこだ!と

ふるさとの原点のような美しい集落が流れ
         思わず写真におさめたくなる景観が流れてゆく・・・・。

なんだろう・・・気持ちが、ほあんとしてくる
なぜか、頭のなかに草が見えて、時計の秒針を見ている自分が浮かんだ。

・・・・・・・・・・・・・・

我々が左官であろうとすれば、
      この先の飛騨では、まず、おそらく生きられない

         

      どんなに小さな仕事でも、
             全国どこへでもゆかなくてはならない。

以下、名古屋からの車窓から。

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