ニューヨークへ

10月中旬?11月末日まで、
ニューヨークへ行くことになった。

正式に決定したのは4月。

これは、文化庁が平成15年度から、
芸術家、文化人等の文化に携わる人々を「文化交流使」に指名し、

世界の人々の日本文化への理解の深化や、
  ネットワーク形成につなげる海外派遣型の事業で、
今年度の文化交流使8人のうちのひとりとしてー
                  任命を受けたのである。


文化交流使は、

それぞれが行きたい国を選び、
  滞在期間1カ月以上?1年以内で、
     渡航費、滞在費と活動費が出るものの、

     月8回のイベント又は交流の報告が義務付けられていて

活動は、
  ほぼ自分で企画しなければならず、
      なんだかんだと持ち出しになってしまうのだという。

まあ・・・・それはそれとして・・・・

では、どうぞがんばって来て下さい・・・
               と言われたとたん。

ニューヨークへ行ったこともなければ、
         行くあてなんてさっぱりない状態

これから何をしたらいいか?
   何がしたいのかを考えて整理し

企画しなければならない現実に、突き当たっている。

いざとなって、

夢みる事と、具体的にする事に
         あれこれ悩んだまま、もう漠然と2か月が過ぎた

交流使は以下の8名

武田双雲(書道家)―ベトナム・インドネシア
土佐信道(アーティスト)―フランス
挾土秀平(左官)―米国
長谷川祐子(キュレーター)―イギリス・ドイツ・フランス・イタリア等
平尾成志(盆栽師)―リトアニア・オーストラリア・イタリア・トルコ等
森山開次(ダンサー・振付家)―インドネシア・ベトナム・シンガポール
森山未來(俳優)―ベルギー・イスラエル
レナード衛藤(和太鼓奏者)―スイス・イタリア・フランス・ドイツ等

それにしても、

まさか、ニューヨークでの活動の場が、
   まさか1カ月半もの期間、自分の人生に巡るとは、と
                
まず 驚きからはじまって、
        不思議と不安が渦巻く・・・・の、くり返し。

まず、ネガティブな思考が働いてしまう俺は、

『 どうだ、普通なら届かない舞台を用意したぞ、
    それと引き替えに、こっちはお前の何をもらおうか?』・・・と。

運命を操る何かから、
     背中ごしに囁かれているような気分にさいなまれてしまう。

振り返れば
2001年に職人社秀平組を立ち上げた時から異端児だと言われ、

地元の厳しすぎる受注の条件や環境の中で、
        技能や情熱を、どんなに高めて訴えかけても、

地域のしがらみが絡めば、簡単にくつがえされる、
気づけば、無言のうちに外されている・・・

途方に暮れたあげく
仕事が欲しいなら、競合相手より安いのが条件・・・
         判断基準は、ただ、安けりゃいいだけ

          あの頃の俺たちに、未来なんて描きようもなかった。

・・・・2003年。

突然舞い込んできた、東京からのオファー

大東京が、右も左もわからぬ無名の秀平組を真っ先に、
対等に抱き込み、自由な場を与えつづけたのである

けれどそれは、常に挑戦がつきまとい、精度高く、
かつ刺激的な表現が求められて、

次々と、見方を変え、本質を捉え、
 時代に新しい表現を連発してゆかなければ、無情に外される東京。

一戦必勝、2度失敗が続けば、簡単に背を向けてしまう東京。

そうして10年がすぎて、
  今、東京は、職人社秀平組の技能や情熱だけでなく
            考え方や自然観からのモノづくりを

             一定の幅を持って受け入れているように思う。

けれど一方で、日本中が早く安く、簡単に強く
あらゆることと物を、強度とか保障の数字で判断する
伝統と言いながら、美しい四季と言いながら
土壁でいえば、樹脂で固めた土とは言い難いものが、

経済性と清潔と安全性を、
全てに優先して選択してゆく日本

縄文からつづく歴史が編み出した技能や美意識を
一律に縛ってしまう法律はますます厳しくなって、

・・・千年の歴史は窒息死直前・・・

飛騨の町も、パネル工法の家が90パーセントだといって
言い過ぎではなく、地元で和室の壁を塗ることなど
一年のうち1・2軒、あるかどうか?
・・・・日々、俺達の生業から遠く変わり続けていて

15年も前から職人が生きられる町では
なくなっているのが現実である。

・・・・営業努力がたりないのか、いまだ外されているのか?
・・・・わからない
・・・・理想は地域に密着していたいが・・・・
・・・・ごう慢だ、要注意だ、行政のそんな噂が聞こえてくる

・・・・現実は直視するしかなく、愚痴をいってもはじまらない

だからこそ

今回の文化交流使を
再び、東京に見出してもらった大切な機会だと受けて
できる範囲のチャレンジをしてみたい。

《 なぜ、ニューヨークを選んだか?》

10年の間に出合った幾人もの東京の友人が、こう言う

『 秀平さん、なんだかんだいってもニューヨークは
世界中の吹きこぼれたひとが集まってくる場所で、

多種多様な人が溢れる街。

ニューヨークは、
アメリカのニューヨークじゃなくて、世界のニューヨークなんだ 』

ということは自分にとって
ニューヨークは世界の東京だということか? と返すと

伝統から、進化した独自の表現と考え方、
あなたの想う世界を世界に試してみる

もう、左官や土に、こだわらなくてもいいんじゃないか?
次なる道のキッカケを見いだしてゆくしかない! ・・・と言う。

そして、また東京に助けられている

建築家、隈 研吾さんが、繋いでくれて
10・22だったら私もニューヨークへ行くから、
ジャパンソサエティで対談しよう

NHKBS、旅のチカラのディレクターが
チェルシー地区のギャラリーを押さえられるけどどうでしょう・・・・
普通なら一年前から予約しなければないだろう会場を
彼の人脈と情報力が切り開いてくれた
11・11?11・24まで2週間の個展が決まりそうだ

文化庁からはニューヨーク大学の講演、
繋げそうですという連絡をもらった

ハーバードの講演とワークショップの実現に動いてくれる人もいる

今はすべての提案をありがたく受けて・・・・

まだまだ企画を立てなければならない、

バケツにいれた、たっぷりの泥をコテであやつり
路上パフォーマンスの即興左官で、
なまなましい鬼の顔でも作ってみようかとも思う・・・・

けど、それって道路使用許可がいるんじゃないのって言われて
いちいち途方に暮れてしまう。

ひとつひとつを解決して
そうして
いろんな体験と交流ができるよう努力するつもりでいる。

・・・・・次なる方向を見いだせると信じて・・・・


                    (所幸則さんHPより借用)

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