師、動カズ。

梅雨があけると、心配しなければならない事がある

ほかっておくと人命にかかわる
ここ数年は、冬と夏に必ず風邪をこじらせている。


我が師、小林さんは大丈夫だろうか?

10年ほど前に廃刊となった、《 月刊左官教室 》の編集長
人生のほとんどを神保町の古本屋めぐりに費やして、生涯独身、
《さぼうる》という薄暗い喫茶店の片隅で
ひたすら本を読む、か、詩を想う。

本人の語るところによると・・・
食生活は「夏はキュウリでキリギリス、冬は湯豆腐、猫になる」

所持品は両切りのショートピースに、
極太の万年筆とボロボロのぶ厚い手帳だけ

背を丸めて座る、痩せた後姿は、
服の上から肩甲骨がくっきり浮き出し
コーヒーに付いてくる小皿のピーナッツを一粒ずつかじる、
これが唯一の栄養源。

小林さんは、明大前の古いアパートに住んでいる。

行ったことはないが、長年の付き合いから分かるのは
どうやら部屋にテレビはない、時計もない

たぶん新聞もとっていない

時間や社会の情報源は、明治大学卒業時に買ったという
46年前のラジオで知るのだそうだ。

コートは、あまりに色褪せ、煙草で焼いた穴が無数にあいていて
聞けば、もう20年近く着ているからねえ、と笑っている。

そんな暮らしぶりから、
酷暑の東京でも冷房とは無縁
冷房がないのか、あっても付けようとしないのか定かではない
しかし異常な体力の消耗が、こちらに見てとれて気が気でないのだ。

もう68才、梅雨が明けると、
いくらなんでも、命に関わる問題として心配で仕方がない

心配といえば
去年聞いた、不思議な話をひとつ。

一階のバルコニーに続く庭先に
タヌキが姿を現し、(?明大前になんでタヌキが?)
小林さんはパンの切れ端を与えた。
小林さんが言うには、ある晩そのタヌキが寝床にやってきて、
寝ていた小林さんの腕をかじったというから驚く
都会の真ん中で、小林さんが、いかに浮世離れしているか
普通、野生の獣のほうから人間に近づくことはありえない。
自然の倒木に見えたか、
あまりの気配のなさに死体にでも見えたか?

小林さんは、年に5回ほど飛騨高山を訪ねてくれる

俺は7?8回ランチョンという神保町のレストランに行き
二人でビール付きのランチをしながら時間を過ごす

いま考えている、直感的な事柄や
創造的な話の断片を、いつも決まって俺が投げかけると

へえーっと聞きながら、しばらくして
文学や歴史、宗教や民話、あらゆることが掛け合わされた
小林的発想の縦横無尽な回答が紡ぎ出されてくる。

・・・たとえば、こんなふうに・・・

『いま、車輪のような文様を考えているんだけど・・・』
ザックリと頭にあるイメージを支離滅裂に伝えると

『たぶんそれは、飛騨の地霊が
秀平のなかにある縄文の血を呼び覚ましているんだよ
飛騨には、車田っていう同一円状に植え込む田んぼがあるでしょ

自然を愛するケルト民族にも、渦巻模様があって
どちらの民族にも、墓場にイチイの木を植える風習があるから
飛騨とケルトは同じ血を持って響きあっているんだよ、すごいね』

『そう・・・そうだよ、バイカル湖のほとりで生まれた人間が、
西の果てにたどり着いた者がケルトで、
東の果てにたどり着いた者が日本人
つまりいま、飛騨から深層の心で繋がろうとしている、素晴らしいね』

『新しい何かが、またひとつはじまりそうだね』

・・・・みたいなことを・・・・

夢みるように、小林さん自身も気づいていくように、
目の前で、パズルを組み立てていくように、か細く呟き始める。

俺は

それはなんで?
えっ! それはどうして?

小林氏の詩やコラム、
小林氏から送られてくる手紙の言葉のひとつひとつや
相入れぬ言葉の掛け算を、この身体に取り込んできた

いま俺が、机上の学習による自然観ではなく
体験と思考が生み出す自然観で行動できているのは
この師に出会い、その哲学をゆっくりと積み重ねたからだと思っている

・・・・送られてきた手紙・・・・

秀平へ

前略、過日は食料と水を援助いただき、
有難うございます。

いま、私のアパートの廃屋の前に一本の梨の樹があって
白い花が咲き、熊蜂の羽音が何処からともなく聴こえている。

やわらかい黄金の羽音。

あさの陽の光が、梨の白い花にそそぎ、
白い花びらは、光年の彼方からやってきた太陽の光に揺れている。

津波も自然、梨の白い花も自然・・・・。
どちらの自然も受け入れる。

ほんとうの歓待の心を拾うことは難しい。
(歓待とは、到来するものを受けいれる・・・という意)

自然は人間のことなど考えている訳ではない。
己の思うがままに振舞っているだけだ。

人間の文化と、自然とは、永久に出逢うことはない。
出逢うことが出来ると考えた近代が自然の逆襲を受ける。

もし、仮に、文化と自然が出逢うことがあるとしたら、
宮沢賢治の詩の一行にあるように

《 打つも果てるもひとつのいのち 》
に、我々のすべての心がなった時だ。

もし、仮に、文化と自然が交わることがあるとしたら、

私たちの自然である、かけがえのない命を
山、川、草、木、鳥、虫、獣、魚の
命の中に溶かし込む時でありましょう。

秀平が西欧の文化の花といってよいパリの路上で流した涙と、
東北の災害の無垢の被災者に流した涙が
ひとつになる時でありましょう。

いわば、
自然と文化がエロスの涙に溶けあうことです。

秀平の仕事には、そんなエロスの涙があると私は、思っています。
秀平はそれを表現できると思っています。

漂えども沈まぬ帆船のように
ゆきゆきて、ゆきゆけ。

私の言葉を私の文字を
求めてくれん友を有難く思っている

小林澄夫

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5月中旬、今年はじめて小林さんが、高山にやってきた。
今回は一泊、酒を酌み交わしながら、肉や魚、できるだけ高カロリーの
ものを注文し、翌日午前中に地場の温泉であたためて師を駅へ送る

穏やかな日差しの下、テラスでコーヒーを飲んでいる時だった

向かいあって座っている師の顔に
大きな真っ赤な蜂!
これはマズイ、毒強烈な蜂が額に首にぐるぐる飛んでいるのである

ヤバイヤバイ!
こ、こ、小林さん、逃げて!・・・と、声をかけた!

師は、タバコをふかしたまま、まったく動じない
逃げて!とくり返したが、

『いい、大丈夫だよ』

と、すややかに目を閉じている
蜂は、師の鼻や胸ポケットのなかや、耳もとにしばらく舞って

・・・・・飛び去って行った・・・・・

こっちは腰を引き気味、ただ見ているしかなかったのだが
『あ?、怖かったね?』と言うと

眠そうに目をひらきながら、か細い声でボソリ。

『はあ?、・・・い?い、羽音だったよ??・・・』

あらためて、心底恐るべし
・・・・・師、動カズ・・・・
お釈迦さんのようであった。

昼も夜もその存在は誰よりも透明
でもその落とす影は誰よりも濃い
炎天下、真夏の大樹の下に痩せた老人がたたずんでいる。
多くの人は気にも止めずに行き過ぎてゆく

そこにもし、その足元に目をやる者がいたら
ハッとたじろぐに違いない。

木陰のなかに、それより濃い影がくっきりと見えるのだ
小林さんは、都会にあって、奇跡のように自然に添って生きている。

人間社会のなかでの存在感など一切主張しない。

だから多くの人は、目の前にいても気づかずに通り過ぎてしまうだろう。

誰知ろう、その生み出す思想の色濃さと、自由さと、過激さを
この、【 野の哲人 】の足元に広がる影は、ただただ深い。

師の名文はいくらでもあるが
最近の師の、心情が汲み取れるものを以下に記す。

・・・・・・・・・・・・・・・

油蝉が鳴いている…
暗い頭蓋の奥に遠い少年の日の記憶を探す。

夏の川遊びの淵で冷たい谷川のよどみの上に降る蝉時雨…。

ふと、無政府の事実という言葉を思い出す。

《中略》

法も国家も民族も国語とも無縁な、ありふれた取るに足らない風景に、
いまの私は無政府の事実をみるのだ。

《中略》

ユイやモヤイの団結の力を支えている無償の魂というもの…
近代の自我でもなく、主体でもなく、自意識でもなく、個我でもなく、
魂というしかないものの中に無政府の事実は生まれる。

《中略》

土蔵の荒壁のヒガキ(左官コテの跡)の跡や打ちつけられた泥だんごの指の跡に
私は無政府の事実と無償のエネルギーの祝祭の残響を、
蝉時雨の森のごとき魂の風景をみる。

《中略》

風景の中に無政府の事実がなかったら、
その風景は死んだのだ…。

小林澄夫

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