数日前、ひとりの左官が死んだ。
その知らせを聞いたのは、葬儀が終わったあとだった。
その左官は、自分に土の入り口を開いてくれた人
キッカケを作ってくれた恩人だったと思っている
出会ったのは、ちょうど30歳になった頃だった。
挾土秀平のブログ
数日前、ひとりの左官が死んだ。
その知らせを聞いたのは、葬儀が終わったあとだった。
その左官は、自分に土の入り口を開いてくれた人
キッカケを作ってくれた恩人だったと思っている
出会ったのは、ちょうど30歳になった頃だった。
1月の終わり、
直木賞作家、坂東眞砂子さんが亡くなられた・・・。
坂東さんとは、2010年の8月、
六本木のBARで、はじめてお会いして
俺のバッグの中に
ねじ込んで捨てなかった、
ボロボロの新聞記事に、
ギョッと目を開いて
あなた、変わってるわね?っと、笑われた事を覚えている。
1983年、オーストリア・リンツ市で開かれた、
【第27回技能五輪国際大会】
競技は3日間続き、
8時間、8時間、7時間の23時間内で、
より早く、より精度ある完成を競う。
当時21歳だった俺。
当然、メダルを期待されて
左官部門の代表として競技台の前に立ち、
封筒の中に入っている課題=図面を取り出して、
一斉にスタートした。