和歌山、太地町で思ったこと

日本再発見塾とは

日本各地に根付いた文化、伝統、歴史に触れ、(再発見)をしながら
地域が、もっと元気になることをめざした活動で、

文化を中心とする
    様々な分野のトップランナー(呼びかけ人)と地元が
              その魅力を改めて見出そうとする試みである。


その呼びかけ人となってみないか?
そんな誘いを受けて出かけた、第7回日本再発見塾は3年前、
                    全村避難前日の飯舘村だった。

再発見塾の良いところは
地域の人たちが、自分達のやり方、考え方と、
             外部からの視線や様々な意見を

同じステージに上げて語り合うことで、
         自分達の現状と、これからを直視してゆく。

そんな体験をして、

その回の終わりに、
思いきって、第8回を高山の景観をテーマにして誘致した。

個性豊かな呼びかけ人と、
地元の運営人の緻密な努力で
内容は、深く切り込んだ素晴らしい再発見となった。

けれど、

その後の進展は、ほとんどなく
なんだか強烈な一発花火のように消えて、
反対に強烈だった分、地域から秀平は《ブラックリスト?》
そんな噂が聞こえる、虚しいものになってしまったが・・・

そうした経緯があって
今回、【第9回・日本再発見塾 in太地町】の開催に
                呼びかけ人として参加依頼があり、

       もちろん、前回誘致した恩義もあって太地町に向かった。

太地町というと、捕鯨の町。

シーシェパードという団体の、
      捕鯨を阻止する過激な嫌がらせや

『ザ・コーヴ』(The Cove)という映画が
この町のイルカ追い込み漁を一方的に批判するなど、
               なにかと話題にのぼっている町である。

丸2日間、地元の人たちと過ごし、太地を歩いた。
国際的な捕鯨の賛否を語るだけの知識は、俺にはないけれど、

捕鯨組織は江戸幕府がたったばかりの1606年、
それぞれグループを30人程度に分け「刺手組」として五組作り

一組を太地直轄の組とし、三組を一族持ち、
             一組を村人持ちとしたのが始まりだという

捕獲は、その度に命がけで、
大自然相手そのものである捕鯨は
          人々の連帯感がなければ成り立たなかった。

追い込み漁の漁師達と、
酒を酌み交わすと、
連綿と続けてきた誇りと、義兄弟のような結束力が
しっかりと今も受け継がれていて

それは、

いわゆる【組】というか
【一家】【一門】【一派】というか【一族】と言うにふさわしい
独自の血を感じさせる。

漁師たちは
金が儲からないとか、
漁をもっと拡大したいと思っているのではなく

いつ、到来するかわからないクジラに
月一頭だったり、
時には10頭だったり
今も自然に従って生きているだけなのだ。

《40代の漁師達と、いいほど酒に酔うと・・・・》

俺たちは、この太地で何も変わらず、
           普通に、いつも通りに生きているだけ。

漁師のひとりが
外から受けている嫌がらせに困惑し
どうにも答えが見いだせない表情で言う

「秀平さん、今俺たちが強くいないと、次の若い者へと繋がらない

それって、どうしたらいいんですかねえ、
           どうやって夢を持たせたらいいんですかねえ」

酔った漁師の言葉は、

素朴で、哀しげで、矛盾にあふれながら
            逆切れしたら終わってしまうと、

                    仁王立ちしているように見えた。

人が生きるとか、命とか、自然について
哲学に近いところまで向きあって、
考え尽くしていることが伝わってくる。

俺は、
「自然の恵みを得てゆく中で
時にはその場に、自分の命もやり取りに、置いているのだから
それだけで十分な答え、大変だけど
一歩も引かず、毅然とやり続けるしかないのかなあ」

と、答えるしかなく、
それで良かったかどうか、分からないが・・・・・

こうして時代から、追われている漁民たちに
            他人事ではない気持ちにさいなまれてしまう。

今急速に、
  法の改正等で小さな組は、
       自分たちのスタイルを認められず
                   追い込まれていて

地元、飛騨でも、
長く続いた5?6人の大工集団が解散したり
建具屋の組合にも同じような解散があったり

そんなことばかりが、職種を問わず起きている世の中。

皆、半端な人間。
ぜんぜん一人前ではないが、

5人、7人、10人が本当に認め合って【族】になるとき、
            その2倍の力を発揮して奇跡が起こる。

これこそが我々日本人の、お家芸ではなかったか?
個性ある小さな組織にこそ色があった。

ひとつの組の絆を一度断ち切り
たとえ仕事を続けたとして、
バラバラな個人となって、再び集結したとしても、

不思議に
ひとり以上の力や、誇りや意地は消え、

                奇跡は生み出せない。

国家と、個人と企業に単純に振り分けられて

組とか一門、チーム
お互いに強く結び合っているかたまりが
どんどん追い込まれている。

たとえば、南総里見八犬伝

「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」
            俺たちは「前世の因縁に結ばれた義兄弟」

「抜けば水気を放つ名刀・村雨」

5人?20人の集団が
ガッチリかたまっていられなければ

こんな連想をさせる刀
こんな粋な言葉

物語り、伝説、文化は生まれない。

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