沈む太陽と石

ニューヨークに行く前から
そしてニューヨークから戻った12月以降は特に・・・

いつもより早く眠るようになっていながら
            日々、 過敏が渦巻いている俺。


部屋の電気を消して
       眼を閉じると、

閉じた眼の中で同時に
もうひとつの真暗な、まばたきのない眼が開き

眠っていながら眠らない自分がいるのである。

穏やかな曲に埋もれてリラックスしようとしても
心地良いはずの、そのうちに

ひとつの鍵盤の残響が耳に痛くついたあと、
それがいつしか畏れに変わり

澄んだ音が聴いていられず
その曲を止めずにいられない。

朝、目覚めて
クシャクシャになっているシーツに
これを握りしめて、眠っていた感覚が蘇ってくる。

なにか
宙の芯で
透明な痛さと透明なねじれに縛られて
踏み場も掴むものもなく、無方向に消耗し
あらがっているとでも言うような感覚から抜け出せないのだ。

子供の頃からある
説明できない直感めいたもの、
予感めいたものが敏感に働いて、
その何かわからぬものを、
打ち消しているだけで時を過ごし

これではいけないと
スケジュールの隙間に、無理に予定を組み込んで
疲れで自分を慰め、この状態をごまかしているのだ。

今の自分をうまく言えない。

この要因となっているだろう
事柄を、誰かに吐き出せば
楽になれるのかもしれないと考えたりする。

けれど、それを出来ない。

もし、

口に出したり、文字にした途端に
折れてしまうかもしれない恐怖心があるから
言葉に出すと予言になるから。

たぶん、それを見せたくないプライドもある
見せたら「負けてしまう」という弱気が
見せるわけにいかないと、
黙りこむしかないのである。

昨日、材料の注文をすると
その材料が廃業し、
また手に入らなくなった素材になっていた。

受け継ぐ者もなく消えていく職人たち
解散に追い込まれている、小さなものづくり集団。
太地町で会った漁師たちの事も
自分達と重ね合わせて、いまだ焼き付いている。

そうしたことが
あまりに身の廻りにあふれていて

それは、血のような未来のことで。

それらを影に

原発とか、防衛の報道ばかりが繰り返されて
本当の未来を考えれば
そんな答えは、ひとつしかないのにと、
世の中の選択や方向性に
直感的危機感で頭の中が止まらない。

どうにもならないこと
どうにもならない強い流れに苛立って消耗しながら
休まなければとあせっている。

4月、仕事が途切れ
今、緊張感の伴う仕事に追われて
どっちに転んでも過敏な日々が続くなか。

今年も異常気象を予感させる
リズムを狂わせている山野草に
心休まる花までが不安に見えて
俺は、しきりに石を眺めていた。

唯一、

石を見ている時
苔むして雨に濡れている石に

安心を覚え
ぼーっと何も考えず、頭が止まっていたように思う。

そして数日前。

仕事で東京に向かう新幹線の
その喫煙ルームの窓の向こうに
大きな真っ赤な太陽が沈んでいく光景を
我を忘れて見入っていた。

それがフーッと気が抜けて、
空っぽになっていた自分に気づいて
なぜか海を思い?
新幹線の通路側に座席に戻ると

海に休めるかもしれないと、そんな気持ちが浮かんだ。

しばらく
文を書くこともなかったが
こうして今を、ブログに表したことで少し毒を吐く

沈む太陽と石

この二つに救われている、今の俺。

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