八ヶ岳の風に吹かれて 2001.7.3  記

『時代』。 その時々の世の中の風潮、哲学、思想、・・・・・・
            今急激に自分の廻りの何かが変わり始めている。

つかみ所がなく、言い様の無い何かがぐるぐると動き始めていて、ゆっくりとい被いかぶさるような重圧感に息苦しくて
腫れ上がってしまいそうな感覚がある。ドキドキしてきて不安でたまらない。

その感覚は、30代前半のあの頃、土壁を知りたくても、どうして良いのかさえわからない日々・・・・爆発してしまいそうな胸の内。孤立感。
                そんな感覚を思いだしてとても似ている


それで今、それが何なのかわからない。
でもこれからは、訪れる様々な波を敢えて拒まず、その中に飛び込み、何の確信もないが、信じた物に自分を乗せて賭けてみたい。

《職人社としての独立》は、飛び出した以上もう後戻りは出来ない、
という事を自分に言い聞かせて・・・・・
これから先の自分に何が出来るのか?  
自分が心から納得できる事とは何なのか?・・・を求めてゆく。

一つの命のはかなさ、たった一度しかない人生の短さの中で、死の直前に、ああ俺はやった、ここまでだったけど十分に生きたなって・・・・思いたい  何の価値もない一粒の命の育んだ満足感。
みんな自分が判らない分、生きるってのは自分がどんな人間であったかを探る事に尽きるのだろうと思う

大きな仕事を成し遂げるとか、人の為に尽くす・・・・・と言うようなカッコの良い物とは少し違って、体裁や対面など、もうどうでもいい、とにかく心から裸になって全国の様々な人達と関わり合い刺激されながら、自分流の考え方を貫き通してみたい、 
そうして何処まで飛びぬけ走り続けられるのか・・・・??

それは一瞬の爆発にも似て、弾け散った欠片=すなわち自分がその爆発力で、飛び散ってしまう欠片なのならば、どれだけ遠く力尽きるのか?
一人でいる時・・・・・・深く考えるほどに、何の価値もない自分がいる・・・
でもたった一人の私だけのかけがいのない自分もいる。

まだまだ、はっきりとは見えないにしろ、遠からず自分の視界の中で、大きな物が動き出すような気配を感じている。
ほんのわずかではあっても、
自分の皮膚がかすかな風を捕らえて伝えてくるような・・・・何か?

だからまずは、草の種の様に、身を任せて吹かれてみる事だろうと思っている。  仕事も心も含めて・・・・
これまで、頑なに閉じてきた自分自身の鎖国を解く・・・・・・
言い替えるなら、鎖国を解く事が出来てどれだけか?を試す。

だから風に任せて何処かの土壌に落ちみれば、それが発芽し、何かの出来事に根をおろせるかも知れない。

いつだったか・・・・
いつか富山に二人で向かっていた時の小林氏のさりげない言葉に、それは孔子の教えであると言う・・・・
《 徳は弧ならず、必ず隣あり 》 
・・・・きっと良き隣人、良き理解者が現れてくるものだよ・・・・と。

そんな時、小林氏、『左官礼讃』の出版記念に合わせて、八ヶ岳でワークショップを指揮して欲しいという依頼の話しが舞い込んできた。
初めての経験。確かに責任と不安が押し寄せてくる。 
 ・・・・上手く出来るだろうか???

ともあれ、まずはこの風に、八ヶ岳に吹かれてみようと思っている。

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