恩師 上内 丈光     1999.9.10 記

今こうして、自分が左官職として沢山の人と出会い、夢中になれる物があること。
そして、仕事面に於いて運良く勉強できるチャンスにも、恵まれ始めて来ていること。

 熊本は上内工業?  社長〔上内 卓〕 そして専務〔上内 丈光〕の両氏の下、自分が入社したのは昭和56年の春。当時は従業員140?50位、いただろうか?
この頃、まだ建設現場は左官工事が主流を占めていた、全盛期だったように思う。両氏は、我が社は技能の『上内』だと胸を張り、技能者の育成の為に、事業所内に単独の訓練校を持ち、実際、昭和44?60年頃までに、技能五輪全国大会でおよそ20人の入賞者を独自で育て、内、優勝者を7名出しているという、業界では、
九州王国とまで言わせた時代を築いたと言って間違いない。


自分は昭和58年、高卒初と左官歴2年と1ヶ月という、おまけ付で優勝者に育てて貰ったと言って良い。その頃の思い出は、心底へとへとになり震え上る程に叱られ、逃げ出したくなる程の厳しさがあった。 その陣頭指揮、直接指導に当たったのが〔上内 丈光〕氏である。 丈光氏は、確か昭和4年生まれで早稲田大学教育学部中退という、自分自身が技能者ではないという経歴の分、〔直接自分自身が腕を持っている訳では無い〕
経営の傍ら、自分流の考え方で、五輪の中で結果を出すという事に、異常に執着心を燃や
していた事が20代の自分にまで、ひしひしと伝わってきた事を忘れない。 
今思えば、恐ろしい程の情熱で世界一のメダルを夢とし、どうしたら勝てるのかを、選手よりも強く自分自身が研究してた事、熊本から東京へ寝台車〔はやぶさ号〕に乗り込んだコップ酒。まだまだ・・・やがて酒がまわると、他国の水は仮死しても飲むな! と、
まるで将校さながらの雰囲気で・・・お前の悪い所はだな・・・と始まると最悪だった。

 なかなか簡単に会いには行けないが、その専務から貰ったと言うか、残した宝を持っている。 いよいよ技能五輪全国大会へ向け、社内での練習が始まる初日の朝であった。
万全を期して歩いて来る専務の、にんまりとした手に下がっていた物・・・縦25×横10?位に切られた藁半紙に墨字で書かれた手製の日めくりである。 よくよく見ると、薄く鉛筆で下書きがしてあり、その上からしっかりと墨字でなぞられていた。
記憶では確か、『残り60日から始まる』

四月 十八日、月曜  残り28日、一寸の油断が大失敗の元。
四月 二十日、水曜  残り26日、掃除するより汚さぬ工夫。
四月二十二日、金曜  残り24日、研究が次の仕事の上達を生む
四月二十三日、土曜  残り23日、全国の選手が懸命の努力をしている負けるな。
四月二十七日、水曜  残り19日、なせば成る、成さぬは人のなさぬなりけり。
四月二十八日、木曜  残り18日、安心と油断が思わぬ事故を生む。
四月二十九日、金曜  残り17日、スピード、正確度、美観。
五月  一日、日曜  残り16日、一鏝、一鏝に魂を入れ最善を尽くせ。
五月  二日、月曜  残り15日、早さで勝負だ。
五月  三日、火曜  残り14日、より早くより正確により美しく。
五月  四日、水曜  残り13日、練習もあと二週間はないぞ。
五月  六日、金曜  残り11日、後悔のない練習に汗を流せ。
五月  七日、土曜  残り10日、事故の無いよう注意せよ。
五月  八日、日曜  残り 9日、全力傾注。
五月  九日、月曜  残り 8日、作業の完全無決を期せ。
五月  十日、火曜  残り 7日、集中力の発揮。
五月 十四日、土曜  残り 3日、練習の成果を充分に発揮せよ。

あれから十数年、月日が過ぎる毎に丈光氏から受けた情熱の深さを感じずにはいられない。
その間、丈光氏からかけられた言葉がある。

・・・熊本を出て2年後・・・
お前と、こうして酒を酌み交わせる事をこう言うんだ。
遠方より友来たる、また嬉しからずや、明日、試験なんぞや二日酔い

・・・左官全国競技大会・・・
お前なら2冠を狙える!競技大会とは、他の人と競う事ではなく、これまでの最高の練習の成果に対して冷静に戦う事に尽きる。

・・・土壁をやり始めて・・・
“お前はいよいよ本当の左官の道に入り始めたごたるね”

・・・最後の別れの病室で・・・
酸素マスクをしたまま見開いた片目が鬼のような形相で自分を見ていた事。

熊本弁丸出しで、『こやつは、どぎゃん教えた所で真剣味がなかけん、いっちょん上達ばしやせん。やめてしまえ!』毎日毎日、嫌になるほど叱られた。叱られながらも勝ちたい勝たせたい情熱の一心。あらためて素晴らしい指導者に育てられた事をに誇りに思う。

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