人間の風景の中へ

道に迷わないように、ホテル前の道を真っすぐ進むと

突然、広い石畳の交差点の右側に、威厳、漂う
            巨大な石造りの古い寺院に引き寄せられた。


数年前のアリゾナの360度の地平線に、
     これぞ地球そのままの大自然だと、
              ひとりポッツリ立って、

自分と、この足元に転がっている石ころと、名もない草は、
みな変わりない同じ価値しかないと、途方もなく広がる大地と空に
                       感動していた。
それに対して、

この寺院の圧倒的な存在感、
街の建築は、ほぼ同じ造りに統一されて、人間の美と想像の力、

連綿と作り続けた、指と眼と汗の凄さを・・・・
          いま、目の前、石に刻みこんで歴史溢れるパリに、

現代の日本とは比較にならない質感の深さと、規模に
       日本人である誇りの一部が根こそぎ崩れ、
              冷静に、フェアな視点になるほどに

       衝撃が、より強くなって、立ち尽くしてしまう自分がいる。

そして、これこそが、
    小林氏のいっていた人間の風景なのか?
       いま、冷たい風が吹きつけるたびに、身体の真が熱い。

今から27年前、俺は若く、技能五輪日本代表として、
            わずか2日間ほど、パリに来たことがあった。

たぶんその頃と、ほとんど変わらない、この街に

100年かかったかも知れない、
    造り手の果てしない情熱が、否応なく身体に伝わってくる

完成を見る事もなく倒れた者、
       命がどれだけ捧げられたか?
思わぬ失敗もあっただろう・・・

そんな想像をさせる羽をつけた獣の折れた首、
              白く風化して見下ろす石像に、

携わってきた者の夢・・・情熱が、少し体の中に湧き上がる。

ミサが終わったようだった。

白髪の老婆が、コートをはおり、杖をついて、か弱く歩いてくる。

この教会の、遠く一番高い所から聞こえてくるカネが鳴り止まず続く。

ああ、こう思う。

この人たちの、片隅でいい
     想像を超えた人間の手の奇跡の中に身を置いて
         この天井高い大空間に響く、ミサを全身でうけたなら、

固くはりつめたこころや、
身体は、どんな風に緩むのだろうか?

自分の小ささをあらためて実感して
一人ではなにもできないという事をあらためて知り、

自分の中に宿っているかも知れない、野望の虚しさと、

   それをを叶えたとして、そんなものが、この命にふさわしいか。

日本という国が、どれほど、
         これに匹敵するものを持ちながら失ってしまったか?

軒並み文化財級建造物の路地に、
     すぐさま両手一杯に拾い集められるほどの
         タバコの吸い殻が投げ捨てられていることが、

          逆に、この国がいかに生きているかを一層物語って痛くなる。

そう思うと、その瞬間に、日本色で造られていた、自分の背骨が
              どんな色であろうと関係がなくなっていた。

日本人、日本文化という強烈な誇りが
      背骨ごと砕けてしまうほどの、パリの風景の存在。

俺たちの土の表現は、日本からから生まれたというだけであり、

もう、日本ではなく
世界の人間の、誰にでも表してゆく方がいいのでは?

今、パリにいる俺は、
何かを感じようと、自らここに進んできたわけではないけれど、

           このパリの街はあまりにも圧巻である。

街ごと遺産というか、
街ごと美術館というか、
       

この石を素材とした重量感と統一感、風景すべてに

           この国の歴史がこぼれ落ちるぐらいに感じられる。

それはこの国の不動な意識なのか、石が永遠だからなのか?

わからないが、

カフェの椅子にもたれていると、自分がここにいる事、

国の意識をこえて、自分がただここにいるのではなく、
             自分は、この街に突然現れたのでもなく、

父の、そのまた母の練面と続いてきたからある、自分が
       この街の一部となって組み込まれ

自分の存在さえも、素晴らしい風景の一部になっていると震えてくる。

この街で俺の仕事を生かす事ができたなら・・・・

この街になら、

俺の仕事が自然に響き合うかもしれない、
  いままで、日本で感じてきた不自然な重い気持ち、それとは違う何か?

石が欠け、朽ちている事さえ美しい街、パリなら
   俺たちの土の壁につく傷も、美しくいられる場所として

人々がそれを、

風景の生活として刻んでくれる様にさえ思えるパリ。

              

ここに、俺達の可能性があるかもしれない。

そんな身体ごとの実感は、日本ではない絶対的な直感に近い。

出国の飛行機の新聞では、
   相もかわらず大相撲の話題が大きく取り上げられてあり、
           親方株の廃止だとか、契約制度の検討なんて・・・

なんだか、

日本中が日本でなくなってしまっているようにしか思えず、
        またひとつ日本独自の美意識が欠けて、変わってしまう。

陽が暮れて、夕食に出かけた。

オレンジ色の外灯に染まった街の路上には
       不規則に斜めに、乱雑に車が駐車され、
                 至るところに国旗がたなびいていた。

陸の大国が、自由奔放に、柔軟に自国を彩り、

小さな島国が、彩ることを忘れ

さらに小さく単色にがんじがらめに均一化やモラルのみで計られて
              我々や相撲界は、彩りから外れかけている。

良い悪いではない、反逆でもない、

それぞれの個性がみとめられないとき、
そこには、いられないか、その個性を捨てるかしかないのなら

我々は我々でいられる場所に流れるしかないのだろう・・・・・

日本は、タダ経済だけに左右される陸になる。

どんなに小さくても、
      陸を飾る文化が強烈ならば、
                   
               世界に確固たる大国なのに。

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