薄れる故郷・・・その2

自分は小林氏からなにを教わったかといえば

無名の者がつくった、【 物 】の、
   えも言われぬ、なにか不思議な存在感や

その土地特有の【 物 】が、
        放っている時間や歴史が感じられるとき

それが如何に強烈で、個性豊かであるかということ

それは見逃してしまうほどに自然な姿だということ

そして透明でいて、でもしっかりと存在しているということ。


無名性の中にこそ、
無限の可能性が秘められていることなんだ。

小林氏は、いつもこう言って、俺を勇気づけてくれる。

飛騨は、アイヌでいうカムイミンタラ、神の庭のような土地で
おまえは、この土地の声を聴き、
この土地の地霊( ゲニウス・ロキ)を感じ、
それを、形に変えることができている。

神の山々に囲まれ、
奥深いみどりの木々、
縄文から続く独自の文化と、
洗練された土地特有の感性。

両面宿儺 (リョウメンスクナ) の伝説や、
江戸屋万蔵 (エドヤマンゾウ) 通称=江戸万なんて、響きまで良くて

やっぱりここ飛騨は、地の力が強くて、謎めいていて、スゴイんだよ

小京都?

飛騨高山には、強い産業はなく
観光:木工:農業・・・で成り立っている小さな街である。

職人が、最低限度、職人として生きられる、

個人の家のちょっとした玄関口、

柱、建具、石、土壁・・・
     その土地の職人たちの手で、街がつくられている。

レベルが高いとか、低いに関係なく、
職人でない人びとは、それなりの≪ 目利き ≫として生活している。

これまでそうであったように、
これからもそうでなければ、
観光=街を売りにしている飛騨の未来はない。

しかし、最近では・・・・

地場の石を切り出した 地場の砂岩を、
石工の手ノミで、コツコツと叩いた側溝が苔むして、

凸凹をなめて流れる水の光が自慢の町並みも、
    新しく整備されると、正確で無感情な御影石、
                のっぺらな工場加工製品に変わり、

伝統的建築物保全地区の土蔵の修復の中には、こんなものもある

どこか都会の企業が、新しく開発した商品で、
   左官のコテ塗りではなく、ペンキ感覚で塗れる
           漆喰(しっくい)という建材があるらしく、

なんと、ローラーを転がして塗り、隅々は刷毛で塗る、

そんな仕事で均一に整えられたものまであり、そのうち
      ぱらぱらと風に吹かれる日が来るのも、時間の問題である。
                

大切に扱い、文化歴史的に想像力を高めてゆけば、

あの江戸屋万蔵は、物語的にもドラマ性があり、
ひとつの舞台だって演出できそうな可能性さえ感じると同時に、
なにより飛騨と東京をつなぐことの出来る素材だったが・・・・・
            その万蔵の遺産も、川上別邸で消えてしまった。

こうして、上げてゆけば、まだまだ、まだまだ・・・・・・

高山の観光の中心部を流れる宮川に架かる、飛騨を代表する橋。

最も目立つ橋たちを順に見てゆくと・・・・・

全国のニュースに映し出される中橋の朱は、あれはウレタン塗装?

緑のペンキの柳橋。

東京でいえば、高山の銀座四丁目交差点、まさに一等一番地にある鍛治橋。

《 これについては後で言う 》

そこから、歩いて5分ほどにある弥生橋も余りにお粗末で

これも、新しくリニューアルされているが、
推測するに、赤御影石をイメージしているように思われるのだが、

思われるだけで、
その色合いは、ピンクと海老茶色の不自然すぎる人工色を
        ゴマダラ模様に吹き付けた塗装で、実は薄いブリキ製。

いくらなんでも、あれってどうなの?と聞くと、

近所に住むひとが、半分あきらめ顔で言う・・・・・・

『 おう、そうよ!あの橋はなあ、傘をもってなあ、
カンコン、カンコン、叩きながら渡るとおもしれえんだよ[:冷や汗:]』

と、呆れ返っている話しも聞く・・・・

しかし下写真、宮前橋、と、助六橋は、素晴らしい木の橋だが
そこにそびえる、鉄骨ペンキの巨大な大鳥居にしても、どうして?
と、言いたくなる。

そこについ最近、決定的なことが起きたのである

リニューアルされた鍛治橋の前にたって、愕然とした。

その場所と、あまりにも釣り合わぬ、貧弱なデザイン。
簡素な鉄の支柱と、コンクリートに、
今度は3?5?の厚みの、弾性樹脂を使った御影石調の吹き付け仕上げ。

しかも、
その吹き付け表面は、ツルツルだったり、ザラザラだったり、

≪???≫

やりかけで終わっているというか、

ヤル気がなかったのか

まさか、もしかして、素人でも、雇ったのか?
                  と真剣に悩んでしまう・・・・。

面倒なところは、あきらかに吹き付けのまま、手もかけず、
        ほかりっぱなしという、ありえない、だらしない状態。

その証拠に、
吹き付けの際の、養生ビニールまで取り忘れている・・・・

完成して、2日目。

出来上がった新品の状態で、
  もうビラビラと、むしれて剥がれ、
       太陽のひかりに、なまめかしく反射しているのである。

どんな見方をしても

美観、素材の選択、管理者と施工業者の意識、
     情熱、郷土愛、美意識、意地、誇り、罪悪感、・・・・・・

すべてに、
   なにも、
     なにひとつ、
            
           感じられない最低の橋が完成していた。

なんと悲しいのだろう・・・・
なんと、安易なのだろう・・・・・・

今、ギラギラと照りつける真夏の陽ざしの下、この橋に立っていると・・・・
どこかの知らない誰かが現れて、
目の前、素手で生の魚を突然手渡され
それを、不審にも思わず、匂うこともなく、
その魚を包丁で裁くこともなく、
そのまま、むしゃぶりついた気分だ。

いったい、
どこで、だれが、どんな考えで取り決め、
何人の人間が携わり、統一した意思の見解のもとに動いたのだろうか?

ここまでくると、

どう転がったって自分とは、話し合う余地もない
            対極な思考であることは間違いなく、

         言語は同じでも、意味は通じ合わない人間の仕業だ。

すべてが違う、
人間が違うとしか見出せない。
だから、話し合う気持ちも生まれない。
おそらく、相手も話さない。

そして、そういう人間が、
この街を実際に作っているという現実に直面し、

ひとしきりイライラしたエネルギーを使ったあと・・・・

なんでこんなにくたびれるんだろう・・・と冷静になると、
        その答えは漠然とした≪ あきらめ ≫が残っていた。

この橋を計画したのが国だろうが、
県だろうが、市だろうが、それはみな同じである。

それにしても、あまりのひどさに
友人を連れだして、訴えるように見せると

友人は、
これじゃあ、俺達職人は、必要ない、いらないよって
              言われているようなもんだなっ・・・・・

その夜、
苛立ちを抑えきれず、夢の中まで重苦しい映像がめぐり朝を迎えた。

ここ数年、地元の酒場で、商店街で、会合で、
必ず声を掛けられる、第一声は、
お前は、もう東京いって、こっちにはいないんだろ?

10人中、8人にそう聞かれている。
お前は、いまや全国区だからなあ・・・もう簡単には仕事も頼めない。

またここに、薄れる故郷があるだけ・・・・

こんなブログを書くと、
        またさらに、地域から暗に干されてしまうのだろうか?

故郷に誇りを持って、東京に出ているものの

それを続けられるかどうかは、自分では決められない・・・・・

いま、書類上であっても、
       自分の住所を、
    東京に移してみようかと悩んで、詩を添える。

『麦藁帽子』 / 西条八十  

母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで、渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
ぼくはあのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき向こふから若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどたうたうだめだった。
なにしろ深い谷で、それに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき旁で咲いていた車百合の花は、もう枯れちゃったでせうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。
母さん、そしてきっといまごろは
今晩あたりは、あの谷間に、静かに霧が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子と
その裏にぼくが書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに寂しく。

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