復興

3.11東日本大震災を自分はテレビ画面でしか知らない。

東北の被災がどれほどのものなのかを、
    実際この目で見たわけではないから、
          復興を語るなどしてはいけないかもしれない。


けれど、これからの復興がどんな形で進んでゆくのか?

その考え方や方向性が、
   いつの日か歴史を振り返ったときの
            分岐点になることは間違いなく
        
       いったん進み始めたら、後戻りや軌道修正は簡単ではない。

街も人ものみ込んでいった東日本大震災は、

鉄筋コンクリート造の建物も鉄骨も、全てを裸にして
岬の灯台も、木造の家も、まるでお菓子のように崩し
  なすすべもなく、一瞬で全てを奪い去って行くのを目の当たりにした。

それもそのはずで、

高さが20m強だとか、
宮古市が最高で37.9mの大津波、

加速して膨らむ水の壁が・・・ 
地震から30分で途方もない力で押し寄せてきて、

人々は呆然と立ち尽くして嘆き、
          叫ぶことしか出来ず、

映像を見ている自分達も、繰り返し流れた信じがたい状況に、
                  ただ絶句しているだけ・・・

結果として、
   本能的な直感に、いち早く反応して逃げ切った者だけが生き残れた。

・・・・500%思い知らされたのは、

人間の想像なんてはるかに超えた、自然のド級圧倒的な力に
人間が抵抗できたものはほとんどなく、
自然のなるようになっただけ・・・・

たぶんこれから先にも、今回以上の猛威だってありうるのが大自然。
自分たちがこうした( 無常 )自然の中に生きているという現実を
                   焼き付けられたというしかない。

この500%思い知らされた教訓。
焼き付けられた痛みを忘れないことが、一番大切なのだろうと思う

空は途方もなく遠く広がり
海は光が届かないほどに深く

それをいくら数値で測れたとしても
それは数字であって、現実や体験に当てはまらない。

さほど強くもない台風の風に、揺れ動いてざわめき
弓なりになってねじれる樹林を、
           その根元に立って見上げていたことがある。

全身に走る震えと、畏れの中
同じように並んで立っていた一本の木が目の前で折れ、
           一本が残っていた、すべてはその時の風しだい。

現代社会は、いつも数字を信じて
  致命的な失敗や、取り返しのつかない事ばかりを繰り返している。
     どんなに安全だと言っても、安全が信用できないのである。

衝撃的だった分だけ復興の考え方は、
            簡単には判断できないだろうと思う。

この地を去るのか
この地に住みながら安全を追及するのか

そんな中で
有職者や政治家のこんな発言を耳にする。

この600年に一度の津波は想定外だった。

でも、次は、より安全な街づくりの為にもっと大きな堤防を築いてゆく…
一流建築家が大きなプロジェクトを手掛け、
災害に負けない未来の街づくり計画を進めているというニュース。

それが、
被災した地域の人々の現実の願いだというのなら何も言えない。

けれど最終的には、自然には抵抗できない、安全はないことを悟り

非常時にどう素早く逃げるかを前提に、生きてゆくしかないように思う。
万事は「逃げられる」という前提に復興を計画してゆくなら・・・

・・・・たぶん腹が決まる・・・・

日本の故郷といえる東北は、
震災以前からもともと哀しくて美しく、美しくて力強く粘り強い。

そんな以前と変わらぬ姿を目指したなら、
これこそが未来への教えであり、伝説になるように思う。

・・・日本人全体の故郷としての東北が
     それ以前と変わらない・・・そんな選択をしてほしいと願いたい

対処療法的に巨大な堤防、
耐震と津波対応の巨大な集合住宅をつくる
      そんな形で進んでしまうのだろうか・・・・・・

性急に答えをせまり、
   数値を基準にして制するような考え方を
                 外から導入して

後戻りできない状況を、押し付けることになったとしたら
さらに、悲しいことになるように思えて仕方がない。

近代的な発想を感じてしまう建築や
未来的設計を考える人や
インテリアデザイナーという分野は、今の東北にはいらない。

大晦日の紅白で< 北国の春 >< ふるさと >< 春よ来い >
< 愛燦燦 >< 帰ろかな >…が、今年は心底沁みた。

2012の幕開け、12年目に入った職人社秀平組は、
今も水道が通っていない、

下水道とかいう以前に今だWCはFRP製の仮設トイレで、
用を達したあとは、
個々それぞれ隣にある田に水を小さなバケツにくんで流している。

今朝、事務所は波トタン一枚だから、事務所内は外気温とほぼ同じ?7度。

そんな中で追いかけてきた2000坪の西洋室の夢。

手つかずの山林だったこの夢は、
気の遠くなる作業ひとつひとつをコツコツと積み重ね、
今10年目を迎えて、いよいよ現実味を帯び姿を現し始めている。

東北の復興について書いたのは
この体験があるからこそ叶えられると思ったからだ。

写真 時事ドットコム/MIVE.COM より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です