敗者。

1983年、オーストリア・リンツ市で開かれた、
   
            【第27回技能五輪国際大会】

競技は3日間続き、

8時間、8時間、7時間の23時間内で、
             より早く、より精度ある完成を競う。

当時21歳だった俺。

当然、メダルを期待されて
    左官部門の代表として競技台の前に立ち、

封筒の中に入っている課題=図面を取り出して、
                 一斉にスタートした。


『あっ!!』見た瞬間、

カッと頭が真っ白になったことを鮮明に覚えている。

      課題の内容は、この国際大会のシンボルマークだった。

頭が真っ白になった要因は、

シンボルマークだっただけに、
     これは想定できたはず!っと
不意を突かれたようなショックがあったこと。

もうひとつは、

細部がこれまで習ってきた技能、
練習してきた工法では出来ない
形状と大きさが何ヵ所もあると、

すぐわかったことだった。

どうしたらいい、どうしよう、
       落ち着け、落ち着け・・・・・

指導者からは、
《お前には力がある、
困ったときでも焦らず、靴のひもを結びながらあたりを見回せ》

そんな言葉を思い出して
とりあえずは
まわりの選手の動きや工法を見ながら、ついてゆこう。

ものづくりは
ひとつひとつの積み重ねで、そこに一発逆転はない。

昼休みの控室、

浮き上がった気持ちは簡単に元には戻らない
監督から内緒でウイスキーをもらって、ゴクっと飲み込んだ

焦る気持ちは

いつもならしない小さなミスをしていて・・・
  それを取り返そうと焦るほどに

また小さなミスを繰り返してしまう。

決定的だったのは、

一秒を惜しんで、必死で作りつづけている俺を、
4?5人の審査員が、それぞれ手振り身振りで話しかけてくる、

・・・なんだろう?・・・また大きなミスか?・・・

だんだんと口調が強くなる審査員達
当時通訳は大工、石工、左官の3種でひとり、

        通訳を探すが、他を回っていて、いない。

結局、分かったのは、

他の選手と同様に、
    そこにあるパンと飲み物(コカコーラ)を
取りなさいというだけの指示だった。

(なんて、くだらないことにこんなに大騒ぎするの?)

落ち着きは、最後まで取り戻せず

完成するというより、
     見よう見まね、形づくるだけで一杯一杯

               ・・・・結果は、7位惨敗。

閉会式も、ご褒美の観光旅行も、

悔しさと、申し訳なさが入り混じって、
すべてがグレーに見えた事が忘れられない。

小さな中小企業が、俺に使った
時間と情熱、金銭を考えると合わす顔もなく

        14人中の 7位は、惨敗そのものであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

帰国して、しばらくすると

当時の東宮御所。

皇太子殿下御夫妻に、
御挨拶と結果報告のため上京することになった。

熊本発、【寝台特急列車はやぶさ号】
              に乗せられて

          東京まで、直通17時間30分の一人旅。

ひとつの車窓に、
3人掛けの席で向かい合って座る。

見知らぬ人に、『お兄さん若いね?・・・』

けれどどうだ、

先は長いから、一緒に酒でも交わそうか、なんて言われて

ほどほどに飲んで、
走り続ける夜行列車のなか。

3段ベッドを倒して、
はしごを登った3段目のベッドで横になり
              カーテンを閉めて、

            日記を付けた事までは記憶にある。

・・・・それからだった・・・・

眼が覚めて。

あたりが、なにか妙に静かで・・・・光がまぶしい

カーテンを開けると、
     昨日一緒にいた人達は? なぜかいない。

ウム? っと思った瞬間、・・・止まっている
東京までの 直通列車が止まっているのである。

あれ?
いま何時?
一体どれだけ止まっていた?

すぐビーンと頭に、しびれが走った!

・・・惨敗の末に、今度は東宮御所へ遅刻?・・・

・・・自分のせいじゃなくても、ありえないお粗末な予感に・・・

歩いてきた車掌をつかまえて、

『どういうことだ!』
     聞けば、もう一時間以上不通になっているという。

その場で車掌の上着をつかんで引き寄せ
バッグの中から取り出した、
胸に日の丸、紺のブレザーを突きつけて
なぜ、起こさない!御所という責任をどう取るんだ!
どうにかしろっと詰め寄った

今となっては、そのあとの記憶が全くない。

車掌に導かれて
   切符を買うこともなく

動き出した寝台列車を、何処でかで乗り捨てて
             背中を押されて乗った汽車。

たぶん新幹線だろうと思われるが、
確かなことは今もわからない
東京駅で乗ったタクシーおりざま、走って選手団集合場所へ。

     【挾土!】【遅い!】っと一喝された事だけ覚えている。

さてさて・・・・

2月7日から開幕した、
ソチ・冬季オリンピックを見るとき

テレビ画面に映る敗者の一瞬の表情に、
つい目が行ってしまう俺。

勝ったことより、

負けを考える人生は
  たぶん、長く切れることない
細い糸のようなものだと思うなかで

負けた選手の、清々しいコメントは

最高の位置での、
  体力、気力の限界をハッキリ答えとして
自らの身体や心が感じ取っているからだろうか?

そんなに清々しい負けってあるのだろうか?
あるのだとしたら、最高な納得として、
誰でもが得られない幸せなんだろうか。

一方で、敗けた者に、
当たり障りない、きれいに仕立てた言葉の投げかけを聞くとき
             いたたまれない気持ちが身体中に走る。

負けた者に、かける言葉は難しく
負けた者にかける言葉は、新しくなければならない。

いつの間にか自分の体験を
重ねて見てしまっているオリンピック観戦は

会うはずもない、あの選手に
どんなふうに接しようと、知らず考え込んでいたりと

・・・・・ひとり勝手に、 結構、疲れる。

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